文学フリマ事務局通信・別冊

文学作品展示即売会「文学フリマ」の事務局代表・望月の活動日記です。文学フリマの情報や、その他個人的話題なども書き連ねていきます。

2012-04-22

SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者

昨夜、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』を渋谷シネクイントで観てきました。

『SRサイタマノラッパー』シリーズの3作目で、北関東三部作の最終章とされる作品です。

私は多くの人がそうであるようにライムスター宇多丸さんがラジオ「ウィークエンドシャッフル」で激賞していたのをきっかけにこの作品を知りました。

2009年にユーロスペースでのリバイバル上映で一作目の『SRサイタマノラッパー』を観ました。

公民館でのライブシーンでは涙がでるほど爆笑し、ラストシーンでは本当の本当に涙してしまいました。

これはただラッパーを夢見る人の話じゃない。

自分のやっていることをまるきり理解されない相手、絶望的にわかりあえない人たちを前にしても表現者であることをやめられない人たちであれば胸を打たれるに違いない。

そんな大傑作が『SRサイタマノラッパー』という映画です。

この作品の成功をうけて作られた『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』も新宿バルト9で観ました。

こちらは群馬の女子ラッパーを主人公に、前作の主人公であるIKKUとTOMも狂言回しとして登場する第二作です。

前作よりエンタテインメント性を増しつつ、女の友情や女にとってのグローイング・アップという難しいテーマを巧みに描いた良作です。

一作目を観た時は「ありあまる情熱と偶然によって奇跡的に生まれた傑作かもしれない」とも思ったのですが、二作目を観た時に入江悠監督が間違いない才能と技術を持っていると確信しました。

 

そして待望の3作目にして完結編が『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』です。

これは一作目に登場したIKKUと袂を分かつラッパー・マイティを主人公としており、一作目の直接的な続編と言ってよいでしょう。

これまでのコメディ色を残しつつも、暴力やトライブ間のしがらみなどこれまでの「SR」シリーズが避けてきたヒップホップの抱える暗部を描いています。

象徴的なのは、物語の序盤でせっかくMCバトルの決勝まで勝ち上がったマイティが、クルーの先輩に「相手は今度一緒に演るグループのメンバーだからわざと負けろ」と指示される展開です。

8 Mile』であれば、このMCバトルの決勝がクライマックスです。

しかし、マイティは自分のすべてを投じるべき舞台そのものを、ヒップホップ的なしがらみによって剥奪されてしまいます。

8 Mile』的成功の舞台に上がり損ねたところから、『SR3』の物語が始まるわけです。

正直この時点で、もうちょっと泣けてしまいました。

 

また、これまで1シーン1カットを旨としてきたこのシリーズですが、『SR3』のクライマックスではおよそ15分に及ぶ1カットがあります。

逃げなくてはいけないマイティが、かつての仲間達が上がっているステージの輝きに向かって、思わず歩き出す、あの背中!

第一作目から観てきた者としては、あのIKKUとTOMがようやくステージに立ったという喜びと、その夢から逃げようとしても引き寄せられてしまうマイティの悲しみが、15分の途切れの無い1カットで刻一刻と凝縮されていくという、比類無い映像体験を味わうことができました。

 

それにしても。

本当にこのシリーズはこれで終わりなんでしょうか?

まだまだIKKUとTOMの珍道中を観たい、マイティの復活を観たい、なんなら他のSHO-GUNメンバーのその後や、TKD先輩のかつての伝説の一端をもっと観たい。

アイツらにまた会いたい!

そう思わせるSR完結編でした。

『SRサイタマノラッパー』シリーズ、掛け値なしにオススメです。
映画『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』予告編

2012-02-22

Wi-Fi HOME SPOTに申し込んでみた

IT

auがWi-Fi HOME SPOTなるサービスを始めました。

スマートフォンを契約している人が5月30日までに申し込めば、なんと永年無料でWI-FI機器をレンタルできるということなので、WEBから申し込んでみました。

レンタルされるのはルータ機能は無い純粋な無線LAN機器という割り切った仕様ですが、5GHz帯にも対応しているということなので無料レンタルとしては充分でしょう。

このサービスはとにかくスマートフォンの通信にWI-FIを利用してもらってトラフィックを減らしたいという目的がはっきりしています。

言い方をかえれば、もはやタダでWI-FI機器を貸し出すほど通信設備が逼迫した状況にあるということでもあるのでしょう……。

ともあれ、使う側としてはあまりデメリットもないのでありがたく利用させてもらいます。

機器が届くのが楽しみです。

2012-02-21

伊集院光vsZEEBRAの中二病論争

「Zeebraが伊集院光をディスった!」と話題になったのはつい昨日(20日)のことです。

※参考

いちおう、Togetterを見る限り、伊集院さんのDMでZebbraさんの誤解が解けて終結といった感じになっていますが、昨晩(20日25時)のラジオ「伊集院光深夜の馬鹿力」において、伊集院光ご本人が「この人とはわかりあえない」「この人の言い分では、自分の作った言葉がどう使われようとそれにずっと責任を持たなくちゃいけないってことになるらしい。じゃあダイナマイトを発明した人はその後の戦争にも責任を持たなくちゃいけないの?」と語っていました。

この件についてネット界隈では「伊集院はオトナ、ZeebraはDQN」という風潮が強いのですが、私はZeebraさんの意見に近い立場です。

 

そもそも伊集院さんが自分の生み出した「中二病」という言葉について「もう僕の作った時の意味と違うから言葉自体に興味無いです。」というスタンスをとっていることに疑問があります。

言葉の生みの親として「あくまで自虐ネタであって他人を嘲笑する意味で使わないで欲しい」とかせめて「今の使われ方には違和感があります」くらいの姿勢は取るべきではないかと思うのです。

そもそも本人が自虐ネタとして作った言葉だったとしても、それが他人に向けられた瞬間に蔑称に変わるというだけのことです。

ラジオでこの言葉が生まれた瞬間から、その「意味」はなんら変化していません。

「僕の作った時の意味と違う」のではなく「使われ方が違う」のであり、伊集院光がこの言葉を生み出した瞬間からすでに蔑称としてのニュアンスを(意味としては)内包していました。

侮蔑的・差別的用法(“用語”ではなく)に使われうる言葉を流布した結果、「興味ない」というのは無責任な言いぐさでしょう。

 

これはその昔の「おたく」という言葉を巡る問題と似通っています。

ちゃんと書こうとすると長くなりますのでカンタンに。

「おたく」の名付け親と言われているのは中森明夫さんです。

まだ駆け出しのライターだった中森さんが1983年に「おたく」という言葉をコラムで取り上げ、これを当時掲載雑誌の編集部にいた大塚英志さんが「差別を目的とした言葉だ」として中森さんの連載を打ち切るにまで至ります。

このことについて中森さんは「ネクラのようなよりネガティブイメージを持つ言葉も多い中で、おたくには差別用法はあってもそれ自体が差別用語ではない」と反論しつつも、「差別意識があったことは否定しないし、自らの差別意識には自覚的でありたい」と述べています。

そして、89年に埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起き、「おたく」があたかも犯罪予備軍を指すかのような差別的言葉として使われた際には、批判者であった大塚英志さんとともに宮崎勤に寄り添う立場をとります。

それが「おたく」の名付け親と言われた中森さんなりの責任の取り方だったわけです。

 

おそらくZeebraさんが「中二病」という言葉に憤っているのは、それが「空気読めよ」とか「なに熱くなってんだよ」という言い方と同様に、真剣に取り組んでいる人や情熱を持っている人に対し安全な距離をとってナナメに揶揄してくる連中、自分は傷つかずにうわべだけの正論を振りかざしてくる連中に利用されているからでしょう。

それがZeebraさん流の「出る杭を打つ」という表現にこめられていると思います。

伊集院さんがラジオで明かしたDMの内容によればZeebraさんは「自分の作った言葉に責任を取れ」といったニュアンスのメッセージを返したようですが、これに自分は同意するのです。

伊集院さんは「ダイナマイトを作った人」=ノーベルを引き合いに出して「ダイナマイトを作った人は戦争にまで責任を負わなくちゃいけないのか」と言ったわけですが、ノーベルが自らの破壊的な発明に生涯苦悩し、そのことからノーベル賞を創設したというのはあまりに有名な話です。

ノーベルの故事を例に出すなら「責任なんて到底負えっこないけど、せめて自分にできることをするべきだ」というメッセージを受け取るのが真っ当な考えであり、「興味ない」と放り投げる自らの態度と並べるのはノーベルに失礼というものでしょう。

 

ここまで書いてきて言うのもなんですが、自分は「深夜の馬鹿力」を開始当初から聴き続けているヘビーリスナーです。

だからこそ感じるのですが、伊集院さんのラジオにおける自虐的な姿勢は、リスナーからの共感を得る部分が強いだけでなく、正面からの批判を受けても「しょせん自分はダメ人間なんで、サーセン」という態度で無効化してしまう強力な防御姿勢でもあります。

まさにマンガ『どげせん』の「土下座は暴力」にも通じますね。

そしてリスナーはやたらと伊集院さんを擁護したがるのも特徴です。

今回の「中二病」問題では、その嫌らしい部分が顕在化したように感じます。

 

実はこの「中二病」問題に限らず、伊集院さんはラジオの中で「ゆとり」「ゆとり世代」という言葉を明らかな差別用法で使っています。

例えば以前『チョコボの不思議なダンジョン 時忘れの迷宮』というゲーム(だったと記憶しています)を酷評する文脈で「ゆとり向け」「ゆとり世代にもわかりやすく作った」と嘲笑する調子で語っていました。

伊集院さんのこういう不用意な言葉の使い方はもっと指摘されてもよいと思いますし、当の“ゆとり世代”にあたる人たちはリスナーにも多くいるはずなのですが、批判の声をほとんど聞きません。

沖縄ノート』の中で大江健三郎が虐殺行為になぞらえた差別的意味合いで「屠殺」という言葉を使っているのに彼だけがなぜ免責されるのか、と呉智英さんが指摘したことがあります。

なんとなくそれと似たような構造で、若いネットユーザーの中で伊集院光が擁護され免責される風潮があるのではないかと、今回の「中二病」問題で感じた次第です。

2012-02-19

第十四回文学フリマ参加申込は本日締切!

第十四回文学フリマの参加申し込み締切は本日2/19の24時です。
もろもろ詳しい事は
http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20120219
に書いてます。

過去二回は震災の影響や会場拡大を踏まえて申し込み期間の延長や二次募集がありましたが、ぶっちゃけ、今回はないと思います

「運命の女神と締切の女神は後ろ髪がない」という諺もあります(ウソ)。
参加ご希望の方は逃さず申し込みをしてくださいね。

2012-02-11

西島大介『I Care Because You Do』のこと

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西島大介さんと言えば、文学フリマのマスコットであるパンダをデザインしていただいた方です。
文学フリマのパンダはまだ西島さんが『凹村戦争』で単行本デビューする前の、言うなれば“初期の仕事”ですが、西島大介らしさが凝縮されているようでとても愛着があります。

さて、そんな西島さんの新刊『I Care Because You Do』の話です。
写真の左側に移っているのは、この単行本をヴィレッジヴァンガード下北沢店で買った際にもらった栞(?)です。

このマンガは、90年代の3人の“神” ――庵野秀明、リチャード・D・ジェイムス、YOSHIKI―― に心酔した3人の男の子を主人公とした物語です。
1980年生まれで「エヴァンゲリオン」をシンジ君とほぼ同い年の頃に見た自分としては、端々で強いシンパシーを感じました。

一方で、これは誰にとっても、いけ好かないマンガと言えるかも知れません。
というのは、この3人の“神”をそれぞれ均等に愛している人はごくごく少数と思えるからです。
この神々の“信者”はとても排他性が強く、お互いに相容れない存在だ、というのが多くの方と同様に90年代を過ごしてきた私の印象です。
もしこのマンガに登場する3人の主人公のうち、誰かひとりに自分を重ね合わせて読むとすると、残りのふたりは“いけ好かないヤツ”に見えるわけです。

しかし、このマンガを通して読むと、あまり関わり合いのない3人の主人公が、同じ時代に生き、青春を戦い、傷ついていった同志に見えてきます。
なるほど。
よく「タコ壷化」などと言われる90年代のサブカルチャーを、こうやって表現したか。
そう膝を打った私なのでした。

2012-02-05

第十四回文学フリマ参加申込受付開始

第十四回文学フリマの出店参加申込の受付が始まりました!
募集期間は「2012年2月5日(日)~2月19日(日)」ですので、お忘れなくお申し込みください。

なんと今回から申込時に登録するサークルカタログ情報は後から編集・追記することが可能になりました。
とりあえず申込を済ませておいて、後から執筆や編集の進捗に合わせて内容を変更できます。
もちろん新しくホームページを立ち上げたり、ツイッターアカウントを取得したらカタログ情報に追加できます。

ただし!
このカタログ情報が編集できる期限は3月11日(日)まで。
事務局としてもカタログを編集して作らなくてはいけないので、これくらいが限界だったりします。

申込時にとりあえずカタログ情報に「内容未定です」とだけ記入して、うっかり後から変更するのを忘れたらこれがそのままカタログに掲載されてしまいます。
後から編集できるからといって油断せずに、くれぐれもご注意下さい。