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事務局通信・別冊

文学作品展示即売会「文学フリマ」の事務局代表・望月の日記です。こちらは個人的な話題メインで書き連ねていきます。

セキセイインコの死

インコ

 

なかなか書けないでいたことがある。
今年の夏の一番悲しい出来事についてだ。
 
 
7月29日の朝だった。
仕事で早めに家を出て移動している最中に妻から電話がかかってきた。
彼女は泣きじゃくっていた。
飼っていたセキセイインコの志代(シヨ)が死んだという。
事故死だった。
 
 ――――
 
妻が私に「インコを飼いたい」と言いだしたのは2011年4月のはじめ頃だった。
小さい頃から実家でインコを飼っていた彼女は、やはり家に小鳥がいないと寂しいと言うのである。
まだ3.11の震災の影響が色濃く、福島原発の不透明な情勢に誰もが不安を抱え、日々のニュースで天気予報とともに放射線量が報じられていた。
テレビで流される「子育てには最悪の環境だ」といった言説が、結婚してまだ半年のわたしたち夫婦の間に重く響いていた。
私は「小鳥を飼いたい」という彼女の言葉の意味を暗黙のうちに認め、それを了承した。
 
志代が我が家にやってきたのは2011年の4月29日。
手がかかる雛を迎えるにはゴールデンウィークがちょうどいいと考えたのだ。
まだ生後3週目の志代は羽根も生えそろっておらず、水で溶いたパウダーフードをスプーンで与える必要があった。
インコの飼育がはじめてな私も慣れない手つきで食べさせた。
勢いよく餌を食べる志代のくちばしがコツコツとスプーンにあたる。
その振動はなんとも心地よかった。
GWの間、夫婦で1日4回以上挿し餌を与え、手のひらで遊ばせ、精一杯かわいがった。
その甲斐あってか、志代はとても人懐っこいインコに育った。
飛べるようになってからもカゴから出せばまっさきに肩や手に飛んでくるし、家にはじめて来る友人にも人見知りせずにじゃれついては喜ばせていた。
 

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そんな志代だったが、2012年6月2日、上のくちばしを折る瀕死の重傷を負ってしまった。
私たちが家にいないときの出来事で原因は不明だが、おそらくカゴの中で何かにくちばしを引っかけてパニックになり、暴れて折ってしまったのではないかというのが獣医の見立てだった。
獣医からまず言われたのは、上のくちばしはほぼ全損でもう生えてくることはないだろうということ、そして一命をとりとめたとしてそんなインコをあなたたちは今後も育てていけるか、ということだった。
 
志代はそのまま入院した。
入院当初は餌も満足に食べられず、強制給餌で栄養をとっており、このまま生きていけるかどうかも危うい状態だったという。
数日が経ち、かさぶた状態だったくちばし痕が直ってきたせいか、水に溶いた餌を食べるようになったと病院から連絡があった。
そして入院から一週間後、はじめて面会しに行った。
実は志代の容態の他に、もうひとつ不安があった。
くちばしのなくなったインコをこれまで通り可愛がれるのか。
自分でもわからなかったのだ。
病院で再会した志代は痛々しくありながらも、こちらの姿を見て元気に反応してくれた。
鳥を鳥足らしめている最大の特徴であるくちばしをうしなった志代は……なんというか妙に人間的な顔付きで、愛嬌すらあった。
面会後の帰り道、夫婦でそう笑い合った。
ふたりのあいだに希望が、羽根をひろげてはばたきはじめたようだった。
 
二週間の入院を経て、志代は退院した。
しかし、容態は芳しくなかった。
退院当初は病院で食べていたのと同じく(そして雛の頃と同様に)、水に溶いたパウダーフードを与えていたが、あまり食いつきがよくなかった。
体重はもっとも少ないときで22グラムまで落ちた。
セキセイインコの平均体重は30グラム前後。
かなり深刻な状態だった。
しかし、くちばしの傷は直ってきている。
もしかすると志代はもっと「普通の食事」をしたいのではないか。
そう考え、パウダーフードではなくお湯で柔らかくした皮むき餌を与えてみた。
スプーンに乗せた皮むき餌を、志代は勢いよく食べた。
雛の時の様に、こつこつとスプーンに振動を与えながら。
この時の喜びは忘れられない。
 
 
しばらくすると、志代はお湯で柔らかくしなくても自分で皮むき餌やペレットを食べるようになった。
くちばしがないので、皮付き餌や小松菜をかじることはできなくなったけれど、ほとんど怪我をする前と変わらず暮らせるようになったのだ。
 
もちろん変化したこともある。
志代はくちばしでかじるかわりに、私や妻の肩にとまっては耳やまぶたをペロペロとなめるようになった。
上のくちばしを失った志代は、なんと「なめる」という行為を覚えたのである。
「舌切り雀」を例に出すまでも無く、鳥にだって舌はある。
しかし鳥の舌というものはくちばしの奥にあり、普通であればお目にかかることもなかなかできない部位だ。 
まして鳥が、犬や猫のように飼い主をなめてくるというのは物理的にありえないことなのだが、上のくちばしを無くした志代だからこそ、「なめる」というスキンシップが可能になったのである。
 
それからもう一つ驚いたことがある。
鳥のくちばしも人間の爪と同じく少しずつ伸びている。
通常、上のくちばしはいろいろな物を囓ることによって削られ、下のくちばしは上のくちばしとこすれることによって削られているため、いつも適正な長さを保っているのだそうだ。 
ところが志代は上のくちばしをなくしてしまったため、下のくちばしが削られずにどんどん伸びてしまう。
獣医からは「三週に一度くらいウチにきて切る必要がある」と言われていた。
しかし、志代は怪我から三ヶ月ほどで、この下のくちばしを自分で上手に削ることを覚えた。
えさ箱の縁などを使い、こちらも気づかないうちに下くちばしをキレイに整えてしまうのだ。
上のくちばしを失っても生きる志代の賢さとバイタリティをそこに見たような気がした。
 

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セキセイインコの寿命は7~10年と言われている。
こんなに小さな生き物と、それだけ長い時間を過ごせる。
それはとても嬉しいことだと思った。
今年の正月に妻の実家へ志代を連れて行き、まだ三歳の甥っ子と遊ばせた。
インコに興味津々なのに、志代が飛ぶと怖がってしまう甥っ子の姿に涙が出るほど笑い転げた。
そして近い将来、自分に子どもができたら、志代とこんな風に遊ぶ姿を見られるのかもしれない、もしそんなことが叶うなら、なんて幸せな光景なんだろうと、思った。
 
 ――――
 
しかし一緒に暮らして2年3ヶ月で志代は突然逝ってしまった。
奇しくも一週間後には、妻の地元で花火大会が行われることになっていて、「また実家へ志代を連れていって、甥っ子と遊ばせてあげよう」などと夫婦で話していたのに。
 
志代は我が家のちいさな庭の片隅に埋葬した。
思えば、ほとんどこの家しか知らずにいた小鳥である。
他にどこへやれるというのか。
 
――――
 
志代を失ってから2ヶ月後、妻が「また鳥を飼いたい」と私に告げた。
そう言えるようになるまで、2ヶ月かかった。
しかし「違う種類にしよう。セキセイインコはもういい。あのこ以上のセキセイは、もういないから」とも。
妻はずっと志代を事故死させてしまった自分を責めていた。
私も彼女にかける言葉は見つからなかった。
ただ、感じていた。
帰宅して上着とカバンを置いたとき、風呂上がりに髪を乾かしてドライヤーのスイッチを切ったとき、布団に入ってまだ寝るでもなく漫画を手に取るとき。
そういった日常のすきまで「ああ、今、志代がいればこの手に乗せて戯れるのに! どうして志代はもういないのか!」と彼女は何十回、何百回と考え続けていた。
そのことを感じていた。
 
そして私はと言えば、この文章を書くまでに4ヶ月かかったのだ。
 
結局のところ、志代が死んでから今日まで、妻も私も、一日足りとて志代のことを忘れることはなかったと思う。
志代は生活の一部で、やっぱり、家族だったから。
 
志代の死から4ヶ月。
今日、我が家で新しい小鳥を迎えることになった。
彼(彼女?)を迎えるにあたり、志代のことを、どうしても書いておきたかった。
子どものいない私たちふたりを夫婦にしてくれた、可愛い小鳥のことを。